第223回 ~幕末の志士から日本石油産業の祖へ石坂周造~の巻(2023年5月24日)
やあ、かめりん!この前日本にも石油王がいたって教えてもらってから、僕なりに色々調べたら、「日本石油産業の祖」と言われる石坂周造という人がいたことを知ったんだ。今度は僕に紹介させて!
あら、いいじゃない!聞かせて!
もちろん!石坂周造は天保3年(1832年)に生まれた人なんだ。この人が1871年に設立した「長野石炭油会社」が日本初の石油会社だよ。実は、石坂周造は石油産業に着手する前はいわゆる「幕末の志士」だったんだよ。
そうなの?!意外な経歴の持ち主なのね。
そうなんだよ。石坂周造は1863年に「明治維新の魁」といわれ尊王攘夷論者である清河八郎と「浪士組」を結成するんだ。この「浪士組」はのちに新選組に繋がっていく組織だよ。清河八郎の仲間だった石坂周造も幕府に捕らえられて、幕末の頃投獄されてもいたんだ。
歴史を感じる話ね…でも、そんな人がまたどうして長野の石油に目を付けたのかしら?
明治時代になって赦免された石坂周造は、ある時アメリカ人の宣教師から長野市の浅川地区で取れた原油を見せられて、石油産業を志したといわれているよ。当時のアメリカは石油ブームの真っ只中。あのロックフェラーがスタンダード石油を設立したのも1870年だね。日本の石油事業に可能性を見出したのかもしれないね。 ちなみに浅川地区は江戸時代から石油やガスの産出で知られていたんだ。1847年に起きた善光寺地震の被害を記した史料にも石油や天然ガスが噴出した様子が描かれているくらいだよ。
そうだったのね。それで「長野石炭油会社」を設立したわけね。それから、石坂周造の石油事業はどうなったのかしら?
1872年には社名を「長野石油会社」へ変更して、数年後にはアメリカから機械を輸入し、長野市内や新潟で石油の機械掘りを始めるんだ。これが日本初の機械掘りと言われているよ。けれど、成果は芳しくなかったんだ。その後静岡などでも機械掘りを試みるけどこれも失敗。資金難や工場の火事もあって長野石油会社は1878年に倒産してしまったんだ。
そうだったのね。日本の石油産業と幕末の志士が繋がっていることが意外だったわ。日本の石油産業史もひも解いてみるととても面白いわね。ありがとう、うさりん!
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(文:原 )
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