第196回 (2023年5月24日)
大学3年の春休み、私は西アジアのある国を旅した。高校時代、世界史の資料集に掲載された写真を見て以来、ずっと心に残っていたある遺跡をこの目で見たかったからだ。
ツアー旅行だったため、現地ではガイドが付いた。来日経験もあるベテランで、日本語で現地の文化などを教えてくれた。ガイドの男性の話で今でもよく覚えているのは、「この国は日本と違ってガソリンは安いが水が高い。水はたいへん貴重」という話だ。
ガソリン価格は結局聞かずじまいだったが、その国は産油国で、日本よりも相当安いはず。旅行中も採掘中らしき油田を見かけた。エネルギーを輸入に頼る日本人からみれば、ガソリンの安さはうらやましい話だ。
一方の水。旅行中に目にした景色は圧倒的に緑よりも茶色が多く、非常に乾燥しているという印象を受けた。食料品店ではデーツやピスタチオなど、乾燥地帯特有の食べ物が山積みになっていた。こうした環境で生まれ育てば、雨の多い日本よりずっと水の重要性を感じるはずだ。
帰国すると、現代の日本の水事情を違った目で見るようになった。蛇口をひねれば飲用水がいくらでも出る。旅先では常にミネラルウォーターを配られ、水道水は直に飲まないよう指示があった。日本では風呂でも大量の湯を使うが、水道料金は世界でも安い方という。
昨今、世界の水不足のニュースを見ると、ふとガイドの話を思い出す。気候変動によって、21世紀は水を巡る争いが激しくなるとの予想もあるようだ。そんな世紀にならないよう、私たちに何ができるのだろうか。
(原)